神愛エクレシアの牧師・石山隼
 

キリスト教会「神愛エクレシア」の牧師をしております、石山 隼(Ishiyama Jun)と申します。

キリスト教を信じるようになったきっかけや、牧師として教会で神さまと隣人とに仕えるようになった召命体験をお伝えさせていただきます。

荒れ果てた少年時代

私は19才の頃まで、まったくキリスト教に触れたことが無く、教会に行ったことも、聖書を読んだこともありませんでした。

家族にも親族にも、キリスト教の信仰者はおりませんでした。

  • 「いったい自分は何のために生きているんだろう」
  • 「何のために必死に勉強したり、努力する必要があるんだろう」
  • 「死んでしまったら、何も残らないなら、すべてが虚しく感じる」

そのように、生きる目的を見出せずに、廃れた生活を送っておりました。

生きる意味とは何なのか?

18歳の頃に、生きる意味とは何なのか、正しい生き方とはどのようなものか、真剣に考えるようになりました。

中学校を卒業してから高校には進学せずに、大工や塗装工などの肉体労働をしていましたが、大検(現・高卒認定)の勉強を始め、倫理の教科書を読むようになりました。

倫理の教科書を通して、古今東西の宗教や哲学思想を学ぶようになり、自分が求めていたことと重なる部分も多かったので、それぞれの原書も読むようになりました。

その学びの中で、聖書の一節に触れました。

新約聖書の御ことば-だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい
 

自分が生きてきた社会では「やられたら、やり返せ」と言うのが当たり前なのに、「やられてもやり返さず、かえってもっとやられろ」なんて、一体どういうことなんだろう?と戸惑いました。

そして、次に読んだ御ことばはさらに衝撃的でした。

イエス・キリストは道であり真理であり命であるという聖書の御ことば
 

普通の宗教家や哲学者は、真理とは何かを追い求めて思索を続けます。

それに対して、イエス・キリストは「私が真理である」と語っています。

言い換えれば、世の人のように天を求めて下から上を見上げるのではなくて、天から降って来た神ご自身であるというキリストの教えに、崇高な偉大さを感じました。

初めての教会が・・・

1年ほど過ぎてクリスマスのシーズンとなり、キリスト教の教会に行ってみたくなりました。

初めて賛美歌をうたったときは不思議な感覚があって感動したのですが、その教会の教職者がメッセージを始めると、何だか聖書の教えと違う内容でした・・・

元々、宗教団体には偏見があったので、やはり怪しい団体なのではないかと思い、もう教会に行くのは止めようとしました。

ちょうどクリスマスイブ礼拝の時だったので、すごく残念な気持ちで帰宅しました・・・

その日の夢を通して

ところが、その夜の夢に、イエスさまが現れて下さいました。

慈愛に満ちた表情で迎えて下さり、右の手を上げて、光を放ち、その光の中に多くの人が入って行くのが見えました。

「あの光の向こうには、天国があるんだ」、そのように直観しました。

そして、夢から覚めて、ものすごい感動を覚えました。

「イエス・キリストが、自分の夢に現れて下さるなんて!」

ものすごく興奮しましたが、すぐに疑いが襲ってきてしまいました・・・

「教会に行った後だし、自分の無意識が作り出した夢なんじゃないか・・・」、そのように疑ってしまいました。

教会にもう一度チャレンジ

でも、もう一度教会に行ってみたいと強く思うようになり、同じ地域にある別の教会に行ってみました。

そうしたら、そこはもっと酷いカルト団体でした・・・

その教会の教職者のあまりにも怪しい言動に、本当に失望してしまいました・・・

そのような状況の中で、生まれて初めて、心の底から神さまに祈りました。

「神さま、あなたは聖書を通して、こんなにも崇高な教えを説いて下さっているのに、なんで教会はこんななんですか?」

決して、敬虔な祈りではありませんでしたが、心からの叫びに、神さまは応えて下さいました。

「あなたは、行って、私が教えた正しい教えを広めなさい」

そのような神さまの御声が心に語られ、ボォーっと音を立てるように胸が熱くなり、疑いや迷いが消えていきました。

そして、決意しました。

「他の人がどうだとしても、自分はこの神さまを信じて生きよう。イエス・キリストは、本物だ」

そのように決心して、自分で聖書の学びをしておりました。

韓国系の福音派教会に伝道されて

それから1年半ほど経ち、当時住んでいた新宿区の路上で、韓国系の福音派教会の方に路傍伝道をされました。

教会には警戒心が強くありましたが、声をかけて下さったその人は、すごく信頼できる感じに見える在日韓国人の男性だったので、一緒に教会に行ってみました。

そうしたら、聖書を純粋に信じている人が多くて、神学的にもしっかりしているのではないかと思い、聖日礼拝はもちろん、水曜の祈り会や、毎朝の早天祈祷会にも参加するようになりました。

聖霊の導きを信じ

ただ、私自身は、自分で聖書を読み、夢を通してイエスさまに導かれた体験があるので、現代でもそのような聖霊の働きというのはあると信じていました。

けれども、その教会では、教職者などの特別な人には与えられるけれども、平信徒には与えられないし、いま来たばかりあなたなんかにはそんな特別な祝福を受けられるはずが無いというスタンスでした。

しかしながら、自分自身の経験は確かですので、もう話が通じないなと考えました。

そこで、現代でも起こされている神さまの御業、聖霊の働きを信じる教会を探しました。

キリスト教の聖霊派教会

当時は教会のことを全く知らなかったので、キリスト教の中に色んな教派があるということが分からなかったのですが、自分自身の体験を通して、勉強熱心な教会もあれば、聖霊の働きを信じる教会もあるというのは分かりました。

そして、新宿にある聖霊派の教会に導かれて行ったところ、私がイメージしていた以上に特別な出来事を目の当たりにしました。

リバイバリストと呼ばれる人物を通して、神さまの御業というのは、現代でもこんなに起こされるものなんだと、信仰が引き上げられました。

その教会で洗礼を受け、約5年間、通い続けました。

最初から私は、キリスト教の伝道、教会の開拓に導かれていると召命の確信が与えられていたので、熱心に聖書の学びをし、色々な活動にも参加させていただきました。

大学の卒業と同時に教会開拓と会社起業

大学を卒業して、埼玉の大宮を拠点として、教会の開拓とキリスト教式の冠婚葬祭の会社を起業しました。

とってもつらいスタートで、これが理想と現実のギャップなのかと挫折しそうになりましたが、まさに旧約聖書に記録されているイスラエル人の荒野の40年間のようだと思って耐えました。

結婚を機に品川に引越し

妻との結婚を機に、東京の品川に引っ越し、マンションの一室で家庭礼拝をするようになりました。

自分自身の収入を安定させなければ、結婚生活も、教会の運営もできないと思い、神さまの御心に適うビジネスの仕方とは何なのかを、深く祈り求めるようになりました。

小さき者ながらも

私自身はとても小さな者ですが、Webサイトを通して、人生のお悩み相談を受けるようになり、心が傷ついている方や、私と同じように人生に迷っている方が日本にも多いことを知りました。

教会として、もっと公共性のあるスペースで活動する必要があると痛感し、お茶の水クリスチャンセンター(OOC)の一室をお借りして、礼拝やミニストリーを始めました。

私へのミッション(天命)

  • 聖書の神さまは、現代でも力強い御手をもって、私たちを救い出して下さること
  • 三位一体なる神さまは、私たちを愛し続け、最善へといつも守り導いて下さっていること
  • 生きる意味や人生の目的というのは、聖書を通して神さまから啓示されること

そのようなことを、人生に悩み苦しんでいる方にお伝えし、イエス・キリストによって救われるために奉仕することが、私への神さまからのミッション(天命)だと信じております。